桃園川跡を散策
また所用で荻窪へ。
時間があったので荻窪からかつて流れていた桃園川(ももぞのがわ)の跡を散策してみることにしました。「東京ぶらり暗渠探検」という本を参考にしました。
荻窪駅の北側の青梅通り沿いのSoftBankにiPhone4のデモ機があったので触ってみました。高解像度のディスプレイが良さそうです。例えばasahi.comのページを表示させた場合、僕のiPhone3Gでは小さな文字はつぶれてしまいますがiPhone4では頑張ればそのまま読めます。実際には小さすぎて拡大する必要がありますが何が書いてあるかといった印象は拡大せずともつかめるので高解像度の意味は十分あると思いました。
その先のりそな銀行の脇から桃園川跡に入って行きました。青梅通りを挟んで反対側にも路地があり、川は続いていた様です。
先日歩いた教会通りと交差する場所には丁度はちみつ屋の「ラベイユ」がありました。少し先で北の方へ伸びる水路敷を発見しました。道は細いですが橋の欄干の跡がしっかりと残っていました。
その道の先には「天沼弁天池公園」がありました。現在広場になっている場所に昔は池があり、桃園川の源流の一つだったそうです。
天沼弁天池公園には「杉並区立郷土博物館分館」があります。1階では『区民参加型展示 「杉並を知る学ぶ展」-地図から地域を考える-』が開かれていました。杉並区の散策マップやハザードマップ、荻窪駅前にかつてあった新興マーケットの地図などがありました。2階では『分館企画展 区民とつくる「荻窪今むかし」〜記録と記憶でたどる荻窪の変遷〜』が開かれていました。昔の荻窪を写した写真や絵画が多数展示されていました。小売店の名前が入った当時の包装紙が何枚か展示されていました。そういえば、最近はビニール袋ばかりで包装紙を見かけなくなっています。
天沼八幡神社のちょっと先に、川沿いには欠かせない銭湯「藤乃湯」がありました。唐破風を伴った宮型造りのデザインの方が僕は好きです。もったいない気がします。
ひたすら東へ歩きます。こんな道が永遠と続きます。暗渠の上の道は下に埋まっている管の強度の問題などから車の進入が禁止されているところが多いです。またこのようにアスファルトではなく煉瓦を敷き詰めたようなスタイルが多いです。
中杉通りを渡りさらに南東へ進み、中央線をくぐります。ここから先は桃園川緑道として整備されています。
この区間には謎のオブジェが多数あります。なかなか良い造型をしています。
高円寺付近にたどり着きました。この緑道より北側の中央線高円寺駅方面は「高円寺パル商店街」、南側の丸ノ内線新高円寺駅方面は「高円寺ルック商店街」と分かれていました。かつてはここにしっかりとした境界があったこを彷彿とさせます。
やっと環七まで辿り着きました。楽しげなゲートがありました。
しばらく進むと杉並区から中野区へ入りました。行政区分が変わると緑道の雰囲気が変わります。大久保通りと交わる部分には宮園橋の欄干が残されていました。昭和7年とありました。
暗渠散策は好きなつもりでしたがこの辺りからさすがに飽きてきました。だんだん暗くなってきました。目標の中野坂上までもう一頑張りです。
現在は下水道である桃園川幹線水位状況を示す電光掲示板がありました。
ようやく山手通りまで辿り着きました。ここからもう少し先で神田川と合流するようです。でも今日はもう疲れました。
桃園川の散策はまたしても以下に詳しく解説されています。
第五章・第一節/高円寺は桃の園
夕食は中野坂上駅からすぐの韓国料理のお店「味楽亭」で石焼きビビンバと純豆腐をたべました。お店の人に石焼きビビンバを混ぜてもらいましたが、お焦げが絶妙でした。ランチがお得そうです。