2011/04/30
2011/04/24
超高輝度白色LED
小川町駅を出てすぐの「ゆで太郎」でお蕎麦。安いお店の割には美味しいです。
今日はLEDを買いに秋葉原へ来ました。秋月電子通商・千石電商・マルツパーツ館・若松通商と有名なお店を全て回ってみました。
最終的に千石電商で日亜化学の「NSDW570GS-K1」という白色の高輝度のLEDを買いました。「Vf: 3.4V If: 70mA 指向角: 140°」というスペックでとにかくとっても明るいです。1個150円という値段もまずまずです。
新宿の京王プラザホテルのロビーギャラリーで開かれていた「大地からの恵み-皮革の変象-/村上慶子展」という革を使った立体作品の展示を見ました。革の質感もさることながら、独特の立体造形が見事でした。
ホテル内の「タオルサロン カラカラ」というお店はタオルをつかった多種多様な商品が売られていました。優しい手触りなのでぬいぐるみなどは子どもに良さそうです。
2011/04/20
つけ蕎麦 玄八
2011/04/16
足立区生物園、西新井大師
大江戸線上野御徒町で下車。日比谷線に乗り換えようと思ったのですが地震があったらしく止まっていました。再開するまで多慶屋で買い物をしていました。早く収束することを願います。程なく再開した日比谷線に乗り北千住へ。
駅から少し行ったところにある「ドンレミーアウトレット北千住」へ。大きなケーキがとても安かったです。まさしくアウトレットでした。
都営バス北47系統に乗り国道4号線を北上し、保木間一丁目で下車し元渕江公園へ。公園内の池は釣り堀になっていて賑わっていました。
その後援の中にある足立区生物園へ行きました。区民は無料の日だったようでとても賑わっていました。
入ってすぐリスがいました。旭山動物園のように行動展示が実践されているようです。高い位置にある透明なパイプの中をものすごいスピードで走り回っていました。
この日は「ガラ・ルファ」通称ドクターフィッシュの体験コーナーがありました。手をつけてみました。くすぐったかったです。
うっこが最近こっているカブトガニを観察しました。ここのはミナミカブトガニです。
他にもカメや蝶の標本など意外と盛りだくさんでとても楽しい施設です。とってもおすすめです。
公園から国道4号方面へ歩いて行く途中に「苑田会人工関節センター病院」がありました。とても立派な病院でした。人工関節の適応が広がっていることが伺えました。
保木間仲通りバス停から竹ノ塚駅まで再び都バスに乗りました。
竹ノ塚駅から東武伊勢崎線で一駅、西新井駅で東武大師線に乗り換え。
跨線橋に乗り換え改札があり、これが事実上大師前駅の改札ということになるようです。おもしろいシステムです。
2両編成の車両は走りだしてすぐ終点です。大師前駅は単線ですが複線にも対応できる準備がされています。東武東上線の上板橋まで繋げる計画があったそうですがあれば便利そうだと思います。
駅から少し歩いたところの西新井大師へ行きました。参道にはいろいろなお店が並んでいました。一番山門寄りの両側に名物の草だんごを売る「田中屋」と「清水屋」がありました。どちらも美味しそうでしたが、田中屋の中にあんこが入っているタイプを買いました。とても美味しかったです。
大きなお寺でとても立派でした。
環七沿いの西新井大師バス停から日暮里舎人ライナーの江北駅へ向かうため再び都バスに乗りました。王40甲系統池袋東口行きのバスに乗る予定だったのですが、やって来たのは豊島五丁目団地行。乗って良いのか分からずパスして後続の池袋行きに乗りました。後で調べたらどちらも良かったようです。
江北四丁目バス停で下車し江北駅から日暮里舎人ライナーに乗りました。無人運転の新交通システムです。
アップダウンがあってジェットコースターの様です。
中央環状線と隅田川を渡ってすぐの熊野前で下車して今度は都電荒川線に乗りました。地下鉄よりも手軽に乗れるので路面電車は好きです。都内にももっと残っていれば楽しかったのにと思います。
庶民的な雰囲気の荒川区の中心部を通ります。終点の三ノ輪橋駅に到着しました。
駅前からは「ジョイフル三ノ輪」という商店街を散策しました。とても賑わっていました。茨城県にあるホームセンター「ジョイフル本田」とは関係がないようです。お肉屋で唐揚げを食べました。
日比谷線の三ノ輪駅は少しだけ離れています。途中に梅沢写真会館という立派な建物がありました。中央部が通り抜けられるようになっています。昔は都電荒川線の前身である王子電気軌のターミナルビルだったそうです。
東京スカイツリーも見えました。下町の雰囲気にマッチしています。
日比谷線で秋葉原へ。「三月兎」というショップでちょっと買い物。電子パーツのお店は今でも多いので秋葉原は楽しいです。
この日は都営地下鉄、都営バス、日暮里舎人ライナー、都電荒川線の都営交通4つに乗りました。1日乗車券である「都営まるごときっぷ」を十二分に活用しました。
2011/04/10
練馬区立美術館と石神井川沿いの桜が満開
天気が良いので自転車で練馬区内を散策。
練馬区高松の御嶽神社に立ち寄りました。あの「服部半蔵」が寄進したと言われている石造大山不動明王像がありました。
南へ進み目白通り沿いにある南池山貫井寺円光院には立派な桜が咲いていました。
近くには暗渠がありました。貫井川の様です。
中杉通りの終点でもある貫井二丁目の交差点のすぐ近くに「ブーランジェリー・ヌクムク」というパン屋がありました。こだわりのあるお店です。
その中杉通りを南下し、中村橋駅の方へ向いました。
駅の近くの練馬区立美術館へ行きました。丁度お昼だったので先に昼食を食べました。美術館のとなりの建物の2階に「どんぐりの木」というお店が入っていました。先ほどの中杉通り沿いにも店舗が有ります。重ね煮といった体にやさしい料理が中心です。とても美味しいです。ご飯はおかわりが出来ます。
美術館では「鹿島茂コレクション1 グランヴィル 19世紀フランス幻想版画」展が最終日でした。動物が人間のように振舞っている絵です。独特の雰囲気があります。
その後、自転車で豊島園方面へ。
ここでも貫井川の支流と思われる暗渠がありました。このページに詳しく書いてありました。
向山という地区は閑静な住宅街で桜がとても綺麗でした。向山庭園は工事中でした。
としまえんの前も通りました。ここも桜がきれいです。「JCF in としまえん」というイベントが開かれているようで、コスプレをしてる人が沢山いました。みんな楽しそうです。
その近く、トイザらス付近から下流に向けて石神井川沿いは桜が沢山植えられていました。その桜に沿って進んでいきました。桜のトンネルはとても大規模で長く続いていました。
途中にあった高稲荷神社は鳥居が崩壊していました。おそらく地震の影響だと思われます。
昭和9年に皇太子ご誕生を記念して沿岸の有志によって植えられたそうです。
どんどん進み、城北中央公園までやってきました。戦時中策定された防空緑地が起源のようです。古墳時代の遺跡も発掘されているそうです。
帰りは石神井川沿いではなく少し北側を西へ進みました。途中で川の跡のような独特の曲線を描く細い道が有りました。後で調べたらこれも石神井川の流れの跡の様です。川は時代によって流れる位置が変わるのが自然なのでそのため現在の川に並行して川の跡がある場合がよくあります。また、川に沿って用水路が作られることもあります。この川跡がどちらなのかはわかりません。
練馬春日町駅のちかくに「練馬ねむの木ガーデン」という霊園がありました。木で囲まれていて中はわかりません。ところが周辺の家々にこの墓地に反対する掲示がかかっていました。事情はよくわかりませんが、うちの隣に多数のお墓がやってきて悲嘆に暮れる人々としばしば出くわすのはあまり気分が良くないと思います。しかしながら、この東京では毎日沢山の人が亡くなっています。そのお墓を作る必要がありますし、お参りしやすいように都心から近くにあるのが理想でしょう。難しい問題です。
練馬春日町の近くの観八沿いに大山道の看板が有りました。歴史のある道のようです。ここ以外にも至る所で参詣の道に出会います。昔はお参りがとても盛んだったのでしょう。
その北側に田柄防衛省宿舎がありました。戦後すぐの地図によると以前は豊島分屯地だったようです。
2011/04/07
網代・三島紀行 後編
前編より
帰りの電車に合わせて網代駅へ行ったのですが、節電の影響で伊東線、伊豆急共に間引き運転をしているようです。運行本数を減らした新しいダイヤを組むのではなく、特定の車両運用を行わないという間引き運転なのでタイミングが悪いと残念ながら長い時間電車が来ないということになってしまうのでした。
網代から熱海へ。熱海から東海道線で三島へ。
三島駅前の楽寿園は時間が遅くもう閉園していました。
駅前の通りを南へ歩いて行きました。以前に訪れた楽寿園正門の向かいにある「水泉園」といううなぎ屋は昼だけの営業のようです。
そのお店の裏手の白滝公園は時期によっては豊富な湧水が見られるそうです。
水辺の文学碑が立ち並ぶ桜川沿いの通りには柵が無くすっきりしています。もちろん少し危険だとは思いますが水との距離が近く感じ親近感がわきます。
三嶋大社の境内にある金木犀は樹齢1200年といわれ国の天然記念物に指定されているそうです。秋にはとても良い香りがするのでしょう。二度咲きという現象もみられるそうです。
三嶋大社をお参りしました。
枝垂れ桜や染井吉野よりも少し白っぽい三島桜などとても美しい桜を見ることが出来ました。
境内には神鹿園がありシカが飼われていました。可愛らしかったです。
三嶋大社前の道を西へ。この道が旧東海道だそうです。通りには歴史の有るお店が並んでいました。立派な看板建築もありました。
街中がせせらぎと謳っている三島だけあってそこかしこに小川が流れています。
三島駅へ向かう際に源兵衛川の遊歩道を通りました。もう暗くなってしまっていましたが飛び石伝いに川の上を歩けるようになっていて楽しいです。
三島駅から沼津始発の東京行き東海道線普通列車に乗り込みました。帰りはグリーン車を利用しました。小田原で快速アクティーに乗り換え。湘南新宿ラインではないのでアクティーは211系での運用が多い気がします。
横浜で下りて根岸線石川町駅へ。夕食は中華街です。青春18きっぷなれではの自由さがあります。
行こうと思っていた台湾料理の秀味園は閉まっていたので、前回行って美味しかった萬和樓にまた行きました。
魯肉飯はとてもおいしいです。うっこが食べたお粥もびっくりするくらい美味しいです。
その後、ふらふらと港の方へ歩いて行きました。
港は全体的に照明が少なめでした。周りには歴史的な建造物が沢山あります。県庁の塔はキング、税関はクイーン、横浜開港記念会館はジャックと呼ばれているそうです。それらを眺め、横浜スタジアムの脇を通り関内駅へ戻ってきました。
再び根岸線で横浜に戻り湘南新宿ラインで新宿へ。
盛り沢山でとても楽しかったです。
Label: 旅行
網代・三島紀行 前編
前日に青春18きっぷを手に入れようと金券ショップへ。しかしどこのお店も在庫がありませんでした。ようやく見つけ、残り1日分の券2枚を5000円購入しました。
地震があってから金券ショップでは18きっぷの買取を敬遠したそうで、その影響で在庫不足になったそうです。
新宿から湘南新宿ライン。平日の朝の下りですが混雑していました。
平塚で熱海行きへ乗り換え。今まで下りたことのない根府川駅へ。石碑などに利用される根府川石でも有名です。
ホームから相模湾が一望できます。
駅舎もかわいらしです。無人駅でした。
関東大震災の時に根府川駅付近を走行中の列車(当時は蒸気機関車)が土石流で海へ流され多数の死傷者がでたそうです。
駅をでて左手、南側へ進んだところに寺山神社がありました。きれいな花が咲いていました。
その場所から海へ向けて下っていく途中には鉄道写真で有名な根府川鉄橋が良く見えました。
その鉄橋の真下には「釈迦堂」があり地元の方が清掃をされていました。大切にされているようです。
海岸に向かう途中に津波の警告がありました。「地震=津波→避難!!」を肝に命じました。
海へ出てみました。大きめな石がごろごろしている海岸です。磯のいきものの種類は多くないようです。うっこが最近興味をもっているフジツボも見つかりませんでした。
アメフラシはいました。
Y
再び東海道線で熱海へ。
待ち時間があったので駅前の家康の湯で足湯をしました。足だけですがかなりぽかぽかします。
間欠泉の様にお湯が吹き出していますが人工的だそうです。
伊東線に乗って網代へ。伊東行きですが車輌は伊豆急行の8000系です。元東急8000系ですが海側の座席が西武レッドアローで使われていたクロスシートに交換されています。
伊豆急といえば100系のイメージでしたが2002年までだったそうです。
網代に到着。伊豆急はちょうど50周年だそうです。
網代駅はこじんまりとしていて良い雰囲気です。
駅を出て海岸方面へ向かいました。小さな港町といった雰囲気です。海岸の波消ブロックにはフジツボが沢山付いていました。カメノテもいました。
海岸沿いの温泉旅館「平鶴」に到着ですしました。早速昼食です。安くてとっても美味しいです。アジの開き定食です。
ここは温泉もとても素晴らしいです。海のすぐ近くにある露天風呂はまるで太平洋に繋がっているようです。とても爽快です。
後編へ
Label: 旅行
2011/04/02
光が丘の河川と牛房
光が丘公園付近を源流とするいくつかの川の一つを辿ってみます。
練馬区旭町の「八丁堀児童公園」付近からスタートしました。八丁堀とは昔の地名でこの付近にあった用水堀が八丁(900m)あったのが由来だそうです。
向かいには都立光丘高校があります。「が」若しくは「ヶ」が入らないのが特徴です。東西に走る道路と高校の間に堀のような窪地がありました。田柄川の遊水地だそうです。
高校の北側には「JST(科学技術振興機構)」の施設があります。どのような経緯でこの場所にあるのか謎です。
その脇を西に入っていくと明らかな窪地が観察できます。これが川の跡だと考えられます。
下っていった川沿いには「丸彫聖観音立像廻国供養塔」という像がありました。成増飛行場が建設される前は光が丘公園となっている場所にあったそうです。
道沿いに谷を下って行くと「旭町はんの木緑地」と呼ばれる公園がありました。美しい花を咲かせる立派な木が生えていました。この辺りは谷戸と呼ばれる土地で湧水も沢山あったそうです。
とんぼ池と呼ばれる池もありました。
さらに谷を下ると光が丘公園に入ります。光が丘公園の北西側に盲腸の様に飛び出した場所です。
成増飛行場が接収されグラントハイツと呼ばれる米軍住宅があった時代、低くなったこの場所に汚水処理施設があったそうです。
さらに谷の道を下ってバス通りに出る場所は光が丘公園牛房口と呼ばれます。このあたりに以前に「花岡学院」と呼ばれる学校があったそうです。
交差点を過ぎて白子川へ向かう途中には「浩乃湯(こうのゆ)」という銭湯があります。昔ながらの作りです。利便性は高いですがやはり景観的にはコインランドリーが残念です。
小源治橋で白子川を渡り銭湯の反対側に来てみました。明らかにかつての川と思われる跡が残っていました。
牛房コミュニティーセンターに自転車を止め付近を散策してみました。和光市の牛房(ごぼう)地区は古い蔵など昔の佇まいがわずかに残っています。
「天王様の坂」と呼ばれる坂は昔の清戸道に相当するそうです。その坂の途中に八雲神社へ向かう鳥居があります。急階段です。
神社の境内は牛蒡八雲台憩いの森公園となっていてます。静かで眺めも良いです。